スーパーのお惣菜コーナーで、なんの気なしにカニカマをカゴに入れる。サラダに乗せたり、そのままマヨネーズをつけて食べたり。あまりにも身近すぎて、疑問に思うことすらない。
でも、ふと立ち止まって考えてみてほしい。
カニカマって——カニじゃないのに、なんでこんなに当たり前に食卓にあるんだろう?
「なんか変だよな」と思ったこと、ありませんか
パッケージをよく見ると「カニ風味かまぼこ」と書いてある。カニではない。原材料はスケソウダラ。でも味はカニっぽい。見た目もカニっぽい。もはやカニより食卓に登場する頻度が高い。
これ、冷静に考えるとちょっと不思議じゃないだろうか。なぜ「偽物」がここまで市民権を得たのか。なぜ誰も怒らないのか。むしろ、なぜみんな喜んで買っているのか。
「捨てられていた魚」が出発点だった
カニカマの物語は、ある種の「もったいない」から始まっている。
原材料であるスケソウダラは、かつてそこまで注目される魚ではなかった。タラコの親として知られてはいたけれど、身の部分はあまり活用されていなかったという話もある。もっと言えば、かまぼこの原料であるすり身自体が、「魚をそのまま売れないときの活用法」として発展してきた技術だ。
つまり、カニカマは——「そのままでは価値がつきにくいもの」を、「みんなが喜ぶもの」に変換する技術の結晶なのだ。
偽物だから価値がないんじゃない。偽物なのに愛されているのがすごいんだ。——ある水産加工メーカーの開発者の言葉として、よく語られるエピソード
問題は「本物か偽物か」じゃなかった
私たちは「本物」と「偽物」という二項対立で物事を見がちだ。本物のカニと、偽物のカニカマ。でも、その見方自体がそもそもズレているのかもしれない。
カニカマは、カニの代替品として生まれたかもしれない。でも今、世界中のスーパーに並んでいるカニカマは、もう「カニの偽物」ではない。「カニカマ」という独立した食品として、独自のポジションを確立している。
フランスでは「surimi(スリミ)」という名前で、日本とはまったく別の食べ方で愛されている。アメリカではカリフォルニアロールの具材として、寿司文化の入り口を担った。それぞれの国が、それぞれの文脈で、カニカマを「自分たちのもの」にしている。
「美しい嘘」を楽しめる国でありたい
カニカマは「嘘」だ。カニではないのに、カニのふりをしている。でも、その嘘を誰も責めない。むしろ愛している。
それは、日本の食文化が持つある種の美意識なのかもしれない。「見立て」という文化。和菓子が花や季節を模すように、食材に別の姿を与えて楽しむ精神。カニカマは、その延長線上にある。
次にスーパーでカニカマを見かけたとき、ちょっとだけ、この物語を思い出してもらえたらうれしい。カニじゃないけど、カニより愛されている。それって、なんだかすごいことだと思いませんか。