千葉方面での仕事が、夕方に終わった。
まっすぐ帰ってもよかったのだが、総武線に揺られているうちに気が変わった。せっかくこちら側まで来たのだ。小岩で降りて、もつ焼きの「大竹」に寄っていくことにした。
カウンターに座り、まずは赤星の瓶ビールを頼んだ。サッポロラガービール、通称「赤星」。一日の終わりを瓶ビールで落ち着かせてから、次に「ボール」を頼む。
出てきたのは、店名が黒い文字で入ったグラスだった。注がれているのは、うっすらと琥珀色をした液体。氷は入っていない。薄切りのレモンが一枚だけ浮かび、グラスの内側を炭酸の細かい泡がすうっと立ちのぼっている。
一口飲む。甘くない。むしろ辛口で、酸味がある。
ハイボールという名前から想像するウイスキーの味ではない。かといって、コンビニで買う缶チューハイの甘さでもない。正直に言うと、最初の一口で「これは何の味なんだ」とグラスを二度見した。知っている酒のどの引き出しにも入らないのだ。
これは、いったい何なのか。
「ボール」とは何か。3行でいうと
東京の下町の酒場で「ボール」と呼ばれている飲み物である。
甲類焼酎を炭酸水で割り、「エキス」と呼ばれる液体で味と色をつけたもの。正式には焼酎ハイボール、あるいは下町ハイボールと呼ばれる。
昭和20年代の東京の下町で生まれ、70年以上たったいまも、ほぼその一帯から外に出ていない。
ちなみに「チューハイ」という言葉は、この「焼酎ハイボール」の略だ。辞書にもそう書いてある。全国どこの居酒屋でも通じる言葉なのに、その本家にあたる一杯は、全国ではほとんど飲めない。まずここが面白い。
ボール(下町ハイボール)のスペック
| 呼称 | ボール/焼酎ハイボール/下町ハイボール(元祖ハイ、と呼ぶ店もある) |
|---|---|
| ベース | 甲類焼酎 |
| 割り材 | 炭酸水 |
| 味付け | 「エキス」「ハイボールの素」と呼ばれる液体。製造元は限られ、配合や割り方は店ごとに異なる |
| 色 | うっすらとした琥珀色(黄色がかった色)。エキスに由来する |
| 氷 | 入れない店が多い。店によっては氷入りが基本だったり、「氷あり」を選べたりする |
| 発祥時期 | 1951年(昭和26年)とされる。昭和26〜27年ごろとする資料もある |
| 発祥地 | 東京の下町(墨田区・葛飾区周辺)。墨田区曳舟にあった三祐酒場が元祖とされるが、諸説ある |
| 分布 | 東京東部の下町が中心。千葉県の一部(船橋など)にも出す店がある |
| 価格 | 店により異なる。筆者が飲んだ小岩「大竹」は、取材時点で一杯330円前後 |
出典:宝酒造「酒噺」および同社「下町の大衆酒場」特設サイト、WEB本の雑誌「ききあるき・東京〈酎ハイ〉物語」(クドウヒロミ)、デジタル大辞泉「酎ハイ」の項ほか。発祥の時期・店については諸説あり、本記事では「〜とされる」の範囲で記している。
なぜ、焼酎を炭酸で割ったのか
元祖とされているのは、墨田区の曳舟にあった「三祐酒場」である。昭和2年創業。本店は区画整理のために閉店し、いまは同じ墨田区の八広店がその味を受け継いでいる。
八広店の店主・奥野木晋助さんが、宝酒造のウェブメディア「酒噺」で語っているところによれば、始まりは1951年(昭和26年)。伯父で本店の奥野木祐治さんが、アメリカ進駐軍の施設でウイスキーのハイボールに出会い、その味に感銘を受けて「焼酎でも同じことができないか」と考えたのだという。
ただ、ここは慎重に書いておきたい。出会った場所は資料によって「駐屯地」「売店」「PX」「バー」と記述が分かれるし、時期を昭和26年か27年と幅を持たせている資料もある。元祖を名乗る店はほかにもあり、エキスの製造元の側には「うちが最初に開発した」という記録も残っている。宝酒造の公式サイトも特定の店名は挙げず、「墨田区・葛飾区を中心とする下町の大衆酒場の店主ら」によって生まれた、という書き方をしている。三祐酒場は「元祖とされる」店、というのが正確なところだろう。
それでも、なぜそんな工夫が必要だったのかは、はっきりしている。当時の焼酎がまずかったからだ。
奥野木さんは別の取材で、当時の焼酎は原材料も粗悪で香りが強く、そのままでは飲めなかったと話している。だから「梅割り」「ブドウ割り」と呼ばれる割りものを足して、においをごまかして飲んでいた。梅やブドウといっても果汁ではない。香りと色をつけたシロップである。
一方のウイスキーは高級な洋酒で、庶民にはとても手が届かない。
手に入る酒を、手の届かない酒の飲み方で飲む。ボールは、あこがれの代替として生まれた飲み物である。
職人や工員の多かった下町で、安く、飲みやすく、それでいてしっかり酔える。条件がそろっていた。この一杯が労働者の街に広まっていった経緯は、宝酒造と焼酎ハイボールの記事でも触れたとおりだ。
なぜ、氷が入っていないのか
大竹のボールには氷が入っていなかった。下町の酒場では、これが珍しくない。
理由としてよく語られるのは、設備の事情である。当時、冷凍庫は大きくて高価で、下町の小さな酒場ではなかなか導入が進まなかった。だから氷なしで出すスタイルが定着した——という説がある。
ただし、これはあくまで一説だ。元祖とされる三祐酒場はむしろ早くから冷凍庫を入れ、氷入りで出していたという話も伝わっている。焼酎も炭酸もグラスもあらかじめよく冷やしておくから氷はいらないのだ、という説明もあるし、「冷たすぎない温度がちょうどいい」と語る店もある。どれが本当の起源なのかは、正直なところ分からない。
分かるのは、結果として何が残ったか、である。
氷がないから、溶けて薄まることがない。最初の一口と最後の一口で、濃さが変わらない。制約から生まれたかもしれない形が、飲み手にとっての利点になり、支持されて残った。筆者も飲みながら、グラスの底に近づいても味がぼやけないことに途中で気づいた。ゆっくり飲んでも損をしない酒は、ありがたい。
なぜ、隅田川を渡らなかったのか
ここがこの記事のいちばんの山だと思う。
ボールの味と色を決めているのは「エキス」だ。そしてこのエキスを造っている業者は、ごく限られている。代表格が、東京都台東区竜泉の天羽(てんば)飲料製造。赤いラベルの「ハイボールA」、通称「天羽の梅」で知られる会社である。
WEB本の雑誌の連載「ききあるき・東京〈酎ハイ〉物語」に、同社3代目の堺由夫社長(掲載当時)のインタビューが載っている。そこで語られている内容が、なかなかすごい。
昭和50年ごろ、同社のハイボール原液がいちばん売れていた時期にも、東京の西側ではほとんど誰も酎ハイを知らなかった。なぜか。「隅田川から西には絶対に知れ渡らないように」、向こうに客を取られまいとして止めていたからだ、と堺さんは言う。父である2代目が最初に言った「秘密でやっていけよ」という言葉を、かたくなに守ってきたのだ、とも。
売り方も徹底していた。各地区でまず卸すのは1カ所だけで、しばらくはほかの店に売らない。店には、うちの名前は出さなくていいから秘密にしなさい、と伝える。その名残で、商品名や社名が分からないようにラベルをはがした一升瓶が、いまでも酒場から返ってくるそうだ。
つまり、ボールが全国に広がらなかったのは、偶然ではない。広げないという判断の結果である。
念のため書き添えると、この「隅田川」は地図の上の線というより、下町と山の手を分ける比喩として読んだほうがいい。天羽飲料のある竜泉は、厳密には隅田川の西岸だ。浅草や町屋など、川の西側にもボールを出す店はある。渡らなかったのは川そのものではなく、川のこちら側で共有されていた「うちの店だけの味」という約束のほうだった。
対照的なのが、同じく戦後の東京で生まれたホッピーである。1948年(昭和23年)に発売されたホッピーは、商品名そのものが看板になった。堺さん自身、ホッピーやハイサワーは会社の名前が表に出て商標登録もしているが、うちは社名も商品名も出さない、と語っている。そのハイサワーは、東京の西側に本社を置く博水社が1980年に完成させた割り材だ。堺さんの見立てでは、色のつかない透明な焼酎の炭酸割りは、このハイサワーのブームとともに西のほうで「酎ハイ」になった。そちらが、いま全国の居酒屋で通じるチューハイである。
黄色いほうの元祖は、名前を隠したまま、川のこちら側に残った。
広げていれば得られたはずのものは、きっと小さくない。それを捨てて、地域の酒場との関係を守った。商売として正しかったのかどうか、筆者には分からない。ただ、もしあのとき全国に広がっていたら、今日小岩で飲んだ一杯は、わざわざ電車を降りてまで飲むものではなくなっていた気もする。あなたなら、どちらを選ぶだろうか。
飲んでみた。甘くないから、何杯でも飲めてしまう
あらためて、小岩「大竹」の一杯の話をしたい。
グラスには、筆で書いたような「大竹」の黒い二文字。よその店のグラスではなく、この店のボールを飲んでいるのだ、という気分になる。氷はなく、液体はうっすら琥珀色。細かい泡が、文字の向こうを絶え間なくのぼっていく。
味は、甘くない。辛口で、酸味がある。レモンサワーの分かりやすい酸っぱさとも、缶チューハイの果実っぽい甘さとも違う。何かに似ているかと聞かれると困るのだが、いちばん近い言い方は「味のついた、よく冷えた炭酸の酒」だろうか。主張しすぎないのに、水っぽくもない。
そして、この甘くなさが効いてくる。つまみの邪魔をしないのだ。
もつ焼きの脂を、炭酸と酸味がさっと流していく。口の中が一度リセットされて、次の一串がまたうまい。だから、もう一杯頼んでしまう。気づけば、何杯でも飲めてしまう。
この「飲み飽きない」という性質は、たまたまではないと思う。一日働いたあとに、安く、長く、食べながら飲む。そういう酒として、70年以上かけて磨かれてきた形なのだ。甘い酒は最初の一杯はうまいが、杯を重ねるとつらくなる。ボールは逆で、重ねても口が疲れない。だからこそ、飲みすぎにはくれぐれも気をつけたい。
同じ「ボール」でも、店ごとに味が違う
ボールという飲み物のいちばんの特徴は、実はここにあるのかもしれない。
同じ名前で注文しても、店によって甘さも、酸味も、濃さも違う。エキスをどれだけ入れるか。焼酎は何を使うか。炭酸の強さはどうか。氷は入れるのか。店の数だけ答えがある。
チェーン店の強みは、どこで頼んでも同じ味が出てくることだ。ボールはその正反対の構造をしている。均質ではない。だから、その店に行かなければ、その店のボールは飲めない。
エキスの流通が限られ、レシピが店の中に閉じていたこと。それが結果として、この地域性を守ってきた。秘密主義は、広がらない理由であると同時に、混ざらない理由でもあったわけだ。
広がらなかったから、ここにある
ボールは、ウイスキーに手が届かなかった時代に、ウイスキーの飲み方をまねて生まれた飲み物だった。
だが70年以上かけて、それはまねではなく、別のものになった。ウイスキーのハイボールがこれだけ安く飲めるようになったいまでも、下町の酒場では当たり前のようにボールが頼まれている。もう代用品ではない。
小岩のカウンターで、氷の入っていないグラスを傾けながら、この一杯が隅田川を渡らなかったことを思う。
広がらなかったから、ここにある。
どこで飲めるか
ボールが飲めるのは、東京東部の下町を中心とした大衆酒場やもつ焼き店だ。千葉県でも、船橋など一部に出す店がある。メニューには「焼酎ハイボール」「下町ハイボール」、店によっては「元祖ハイ」などと書かれている。店ごとに味が違うので、はしごして飲み比べる楽しみがある。
筆者が飲んだ「大竹」は、JR小岩駅の北口から歩いて5分ほど(東京都江戸川区西小岩1-12-12)。営業は15時からで、火〜木曜と日曜は21時30分まで、金・土曜は22時30分まで、月曜定休とされている。ここでのボールは氷なしが基本で、頼めば氷入りにもできるそうだ。価格や営業時間は変わることがあるので、訪ねる前に最新の情報を確かめてほしい。