定番の裏側 一皿の物語 食の旅日記
夜の赤坂珉珉の看板。黄色く光る縦長の看板に「民族の味 赤坂 珉珉」の文字と、銀龍ビールのロゴ
一皿の物語

15年通っている店の歴史を、15年知らなかった。赤坂珉珉と焼き餃子の源流

2026.10.01 ・ 読了 9分 ・ 文:KOTOHARE編集部
🍻飲み会で話したい雑学📖日本の食文化を知る👨‍🍳料理のうんちくを語る

15年ほど前から、年に1〜2回、当時同じ会社で働いていたメンバーと赤坂珉珉に集まっている。

誰が言い出すでもない。何となく、あの店に集合することになっている。ビールを頼んで、餃子を頼んで、ビールが空いたら黒霧島のボトルを頼む。それがいつもの流れだ。近況を話して、解散する。それだけの会を15年続けてきた。仲間うちでは「赤みん会」と呼んでいる。

ところが、ある日ふと気づいた。

この店のことを、自分は何も知らない。

夜道で黄色く光る看板には「民族の味 赤坂 珉珉」と書いてある。15年、その下をくぐってきた。なのに「珉珉」という名前が何を意味するのか、考えたこともなかった。なぜ餃子を酢とコショウで食べるのか。それも、考えたことがなかった。出されるままに食べ、うまいうまいと言って帰っていただけだ。

常連のつもりでいたのが、少し恥ずかしくなった。それで、調べてみることにした。

赤坂珉珉とは何か。3行でいうと

東京・赤坂にある、1965年創業の中華料理店である。

日本の焼き餃子の元祖とされる渋谷・恋文横丁の「珉珉羊肉館」で修行した先代が、暖簾分けを許されて開いた直系の店。

そして、いまや全国で見かける「餃子を酢コショウで食べる」スタイルを生んだ店でもある。公式サイトは自らを「酢コショウ餃子発祥の地」と書いている。

赤坂珉珉のスペック

店名赤坂珉珉(あかさかみんみん)
創業1965年
所在地東京都港区赤坂8丁目(赤坂8-7-4)
※最寄りは東京メトロの青山一丁目駅・乃木坂駅・赤坂駅。公式サイトの案内では、どの駅からも徒歩約10分。つまり、どこから行っても少し歩く
系譜渋谷・恋文横丁「珉珉羊肉館」からの暖簾分け。珉珉羊肉館は2008年ごろに閉店したとされる
名物焼餃子、酢コショウ、ドラゴン炒飯
特記事項酢コショウ餃子の発祥店(公式サイトの記載による)
公式サイトhttps://akasaka-minmin.jp/

出典:赤坂珉珉公式サイトおよび公式Instagram(2026年10月1日確認)、Yahoo!ニュース エキスパート「酢コショウ餃子発祥の店『赤坂珉珉』 酢コショウはどうやって生まれたのか?」(井手隊長、2021年12月)、ぐるなび「dressing」(2019年9月)ほか。価格は変わるため載せていない。「元祖」「発祥」には諸説があり、本記事では「〜とされる」の範囲で記している。

なぜ、日本の餃子は「焼き」なのか

餃子の本場・中国で餃子といえば、主役は水餃子である。蒸したものもある。焼いたものもあるにはあるが、食卓の中心にいるのは茹でた餃子のほうだ。

ところが日本では、餃子といえばまず焼き餃子を指す。しかもニンニクが入っている。考えてみると、これはかなり日本独自の姿である。

その源流のひとつとされるのが、戦後の渋谷にあった「珉珉羊肉館」だ。満州から引き揚げてきた創業者が渋谷で餃子の店を始め、1952年に恋文横丁に「珉珉」の看板を掲げたとされる。安くてボリュームのある焼き餃子は評判になり、周りには餃子の店が次々にできた。戦後の餃子ブームを牽引した店、と言われている。

ここで、冒頭の疑問がひとつ解ける。「珉珉」という店名は、創業者の妻の名前から一字を取ったものだと伝えられている。15年見上げてきたあの二文字は、人の名前だったらしい。

そして「羊肉館」である。当時は豚肉よりも羊肉のほうが安く、餃子の具には羊肉を使ったという。ただ、羊肉にはにおいがある。それを消すためにニンニクを入れた。これが、ニンニク入りの焼き餃子という日本のスタンダードにつながった——とされている。

日本の国民食である焼き餃子は、安い肉をどうやっておいしく食べられるものにするか、という工夫から生まれた。

ただし、ここは慎重に書いておきたい。焼き餃子の「元祖」や「発祥」をめぐっては諸説があり、元祖を名乗る店はほかにもある。羊肉とニンニクの話も、複数の記事で語られてはいるものの、一次史料で確かめられたわけではない。珉珉羊肉館は「元祖とされる店」「源流のひとつ」というのが、正確な言い方だろう。

ちなみに、その羊肉がいまの日本でどういう立場にあるかはラム肉の記事で書いている。

なぜ、赤坂に残ったのか

その珉珉羊肉館は、もうない。

恋文横丁から同じ渋谷の道玄坂へ移って営業を続けたが、2008年ごろに閉店したとされる。赤坂珉珉の公式サイトにも「現在は閉店」と書かれている。つまり、本家はもう存在しない。

赤坂珉珉は、その珉珉羊肉館で働いていた先代が独立するときに、暖簾分けを許されて始めた店である。1965年のことだ。自宅を改装して店にした、と紹介している記事もある。公式サイトにはこう書かれている。

「1965年創業して以来、50年以上に渡り直系としてその味を守っています」(赤坂珉珉公式サイトより)

本家が消えたあとも、分かれた枝のほうが残って、味を伝えている。そういう構造になっている。

ここで、ひとつ整理しておきたいことがある。「珉珉」「みんみん」を名乗る店は全国にたくさんある。なかでも有名なのが、大阪の「餃子舗 珉珉」だろう。1953年に大阪・千日前で創業したチェーンで、こちらも創業者が渋谷の珉珉で餃子を学んだことが始まりだと伝えられている。源流は、同じ恋文横丁にさかのぼるとされる。

ただし、赤坂珉珉とは別の会社、別の系統の店である。

ややこしいことに、2026年3月には大阪の珉珉が「東京ワールドゲート赤坂店」を開いた。同じ港区赤坂で、同じ「珉珉」。だが、あちらは赤坂2丁目のビルの中、溜池山王駅の近く。この記事で書いているのは、赤坂8丁目の住宅街にある一軒である。ルーツは同じでも、別の店だ。行き先を間違えないようにしてほしい。

なお、各店の関係については資料によって書き方が違う。ここに書いたのは確認できた範囲に限っている。一つの店から分かれた枝が、別々の森になっていく話は、家系ラーメンの系譜でも書いたとおりだ。

なぜ、酢コショウなのか

ここが、この記事のいちばんの山である。

小皿に酢を入れ、コショウをたっぷり振る。醤油は使わない。それで餃子を食べる。いまでは「通の食べ方」として全国に広まっているこのスタイルは、赤坂珉珉が始めたものだ。公式サイトには、酢コショウ餃子を発案して提供したのはここ赤坂珉珉です、とはっきり書いてある。

驚いたのは、その時期だった。

これは、珉珉羊肉館から受け継いだ昔ながらの作法ではない。ラーメンライターの井手隊長氏がYahoo!ニュースに書いた記事によれば、考えたのは先代から店を継いだ二代目である。当時の店でいちばん話題になっていたのは、ニラとニンニクをたっぷり使った「ドラゴン炒飯」だった。二代目は、先代という大きな壁に苦しみながら、それに次ぐ看板を探していた。伝説の餃子店から出た店なのだから、もっと餃子を話題にしたい——そういう思いがあったという。

餃子をもっとたくさん食べてもらうには、どうすればいいか。醤油と酢とラー油では、タレの味が強くて途中で飽きてしまう。それなら、酢とコショウだけにしたらどうか。そうして生まれたのが酢コショウだった。誕生は2000年ごろとされている。

酢コショウは、継承ではなく発明だった。老舗が守っているものと、老舗が新しく作ったものは、違う。

そして、この発明は定着した。2021年の同じ記事では、餃子が1日に1000個出ることもある、と紹介されている。いまの数字までは確認できていないが、筆者たちのテーブルにも、毎回かならず餃子が並ぶ。

餃子とドラゴン炒飯の姿は、公式Instagramの投稿を借りて載せておく。

赤坂珉珉公式Instagramの投稿を見る(焼餃子)
赤坂珉珉の焼餃子(赤坂珉珉公式Instagramより)
赤坂珉珉公式Instagramの投稿を見る(ドラゴン炒飯)
餃子と並ぶ人気メニュー、ドラゴン炒飯(赤坂珉珉公式Instagramより)

15年通って、知らなかったこと

あらためて、自分の15年の話をしたい。

年に1〜2回、同じ顔ぶれで集まる。幹事がいるわけではない。何となく日が決まり、何となくあの店になる。

15年のあいだに、全員の勤め先が変わった。立場も変わったし、家庭の状況も変わった。集まるたびに誰かの近況が更新されている。変わらないのは、この店だけだ。

酢コショウで餃子を食べることも、いつの間にか当たり前になっていた。酢の酸っぱさとコショウの辛さだけなのに、物足りなくない。むしろ餃子そのものの味がよく分かる。さっぱりしているから、ビールでも黒霧島でも、飲みながらいくつでも食べられる。気づくと皿が空いていて、誰かがもう一枚頼んでいる。毎回そうなる。

正直に言うと、筆者はこの食べ方を、ずっと「昔からある作法」だと思い込んでいた。1965年創業の店なのだから、創業のころからこうやって食べてきたのだろう、と。

違った。

酢コショウが生まれたのは2000年ごろ。自分が通い始める、ほんの10年ほど前のことだ。伝統どころか、当時はまだ生まれて間もない食べ方だった。二代目が考えた新しいやり方を、筆者は古くからの作法だと思い込んで、15年間、何の疑問も持たずに食べていたことになる。

常連であることと、店を知っていることは、まったく別のことだった。

※味の感じ方には個人差があります。ここに書いたのは、筆者が実際に通って食べた範囲での感想です。

老舗は、変わらない店ではない

老舗という言葉は、たいてい「変わらないもの」として語られる。変わらない味、変わらない佇まい。筆者もさっき、変わらないのはこの店だけだ、と書いたばかりだ。

だが、実際には変わり続けている。

赤坂珉珉が守っているのは、珉珉羊肉館から受け継いだ焼き餃子の味である。一方で酢コショウは、二代目が新しく加えたものだ。守ることと作ることが、同じ店の中で同時に起きている。長く続く店ほど、じつは大きな変化をくぐっている——という話は100年続く飲食店の記事でも書いた。ここにも、その実例があった。

源流の店は、もうない。その今、この店が伝えているのは味だけではないのかもしれない。「分かれた先で続ける」という形そのものを、伝えているように見える。

15年通っていても、店のことは何も知らなかった。

ただ、知らないまま通い続けた15年にも、意味はあると思っている。知識は後から足せる。でも、同じ店に15年通い続けた時間は、後からは作れない。

次の赤みん会では、小皿に酢を注いでコショウを振りながら、この話を誰かにするかもしれない。たぶん「へえ」と言われて、すぐ別の話になる。それでいい。

訪ねる前に

場所は、赤坂といっても繁華街ではなく、8丁目の住宅街の中である。青山一丁目・乃木坂・赤坂のどの駅からも10分ほど歩く。行列ができることで知られる人気店なので、時間には余裕を持って出かけたい。公式サイトによれば、席の予約は夜のみ、電話で受け付けている。

営業時間と定休日は変わることがある。下の店舗情報は2026年10月1日に公式サイトで確認したものだが、出かける前に公式サイトか公式のSNSで最新の情報を確かめてほしい。

家で食べたい場合は、公式サイトで冷凍餃子の通販を受け付けている。ただし、注文から発送まで2〜3か月ほどかかると案内されている(2026年10月1日時点)。

KOTOHAREの視点:赤坂珉珉は1965年創業。日本の焼き餃子の元祖とされる渋谷・恋文横丁の「珉珉羊肉館」で修行した先代が、暖簾分けを許されて開いた直系の店である。珉珉羊肉館は、豚肉より安かった羊肉を使い、そのにおい消しにニンニクを入れたことが、ニンニク入り焼き餃子の広まりにつながったとされる(諸説あり)。その本家は2008年ごろに閉店し、いまは分かれた枝である赤坂珉珉が味を伝えている。大阪の「餃子舗 珉珉」も源流は同じ恋文横丁とされるが、別経営・別系統の店だ。そして酢コショウは、昔からの作法ではない。2000年ごろ、二代目が新しい看板を探すなかで生み出した発明だった。老舗は、守りながら作っている。知識は後から足せるが、通い続けた時間は後からは作れない。

店舗情報

店名
赤坂珉珉(あかさかみんみん)
住所
〒107-0052 東京都港区赤坂8-7-4
TEL
03-3408-4805(席の予約は夜のみ・電話のみ)
営業時間
11:30〜14:00(L.O. 13:55)/17:30〜21:30(L.O. 21:00)
定休日
日曜・祝日
アクセス
東京メトロ 青山一丁目駅・乃木坂駅・赤坂駅から各徒歩約10分。駐車場なし
地図
Googleマップで見る
公式サイト
https://akasaka-minmin.jp/
備考
営業時間・定休日は2026年10月1日に公式サイトで確認したもの。変更されることがあるため、訪問前に公式サイト・公式SNSで最新情報の確認を。同じ赤坂にある「珉珉 東京ワールドゲート赤坂店」(大阪の餃子舗 珉珉の店舗)とは別の店
この記事の出典と、扱いについて 創業年・所在地・営業時間・アクセス・珉珉羊肉館からの暖簾分け・「酢コショウ餃子発祥の地」の記載:赤坂珉珉公式サイト(2026年10月1日確認)。メニュー名の表記は公式Instagramの投稿による。
酢コショウが生まれた経緯(二代目による考案、ドラゴン炒飯に次ぐ看板の模索)と「1日1000個出ることもある」という数字:Yahoo!ニュース エキスパート「酢コショウ餃子発祥の店『赤坂珉珉』 酢コショウはどうやって生まれたのか?」(井手隊長、2021年12月2日)。数字は掲載当時のもの。
酢コショウの誕生時期(2000年ごろ)・自宅を改装しての創業:ぐるなび「dressing」の記事(2019年9月15日)。
珉珉羊肉館の沿革・店名の由来・閉店時期、大阪「餃子舗 珉珉」の創業:公開されている資料、および株式会社珉珉本店の公式サイト。
※焼き餃子の「元祖」「発祥」、羊肉とニンニクの経緯、各店の系譜には諸説がある。本記事は断定を避け、確認できた範囲に限って記述している。
※先代・二代目については、公開されている記事に書かれた範囲にとどめ、氏名や続柄は記していない。

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この記事を書いた人

KOTOHARE編集部

30代・食いしん坊の編集部員。コンビニの新商品から町の老舗まで、うまいものなら何でも食べる雑食派。今夜の晩酌のつまみを考えるのが日課です。

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